明治に武田惣角( 1860 〜 1943)が会津藩の御留技を世に出したもので、日本各地をまわり、その御留技である大東流合気柔術を教授したことから現在に伝えられています。
 大東流合気柔術は伝書によると、開祖は 新羅三郎 源義光( ? ~ 1127)とされ、代々、清和源氏(清和天皇からの分流)に伝えられたとされている武術で、現在、日本各地に武田惣角より伝えられたとする、大東流合気柔術の流派が存在します。
 関西にも、大東流合気柔術の中でも大きな団体である『琢磨会』が有り、大阪を中心として、兵庫・京都で活動されています。

 福島県会津坂下町出身。

 幼少の頃より、父 惣吉から、槍術、剣術、相撲、大東流柔術(大東流柔術は、会津藩に数百年に渡り伝承されてきた技法とされてきている。)を学び、13歳の時、東京の直心影流剣術家 榊原鍵吉の内弟子となる。

 16歳の頃、兄の死により、神職にあった兄の後を継ぐべく福島県東白河群の都々古別神社へ向かうも、わずか数週間で神職を去り、全国武者修行の旅へでる。

 38歳頃から、各地を訪れ大東流柔術を教授するようになる。
 63歳頃から大東流柔術を大東流合気柔術と呼称し始め、晩年は、ほとんどを北海道で過ごし、死ぬまで大東流合気柔術を教授したと言われている。

 青森にて死去、享年83歳。

 大東流合気柔術伝承者
 武田惣角

1860年10月10日
  〜1943年4月25日