植芝盛平( 1883 〜1969 )が創立した武道で、植芝盛平が北海道に於いて武田惣角より大東流合気柔術の免許を得た後、大本教の出口王仁三郎との出会いを経て、自分流となった柔術に独自の工夫と理念を取り入れて『合気道』と呼称したものであります。
 現在、合気道の本部道場は東京の新宿区に在り、植芝翁のお孫さんである、植芝守央氏が後を継がれています。又、植芝翁の直弟子により多くの流派が各地に存在します。

 和歌山県田辺市出身。

 20歳で軍隊に入り、22歳で満州へ出征。除隊後、政府募集の北海道開拓民応募し北海道紋別郡白滝に移住。

 北海道開拓民時代に、大東流柔術の武田惣角と出会い、33歳の時、武田惣角より大東流柔術の免許を得る。

 36歳の頃、父危篤のために帰郷の途中、大本教の出口王仁三郎と出会い、京都府綾部に移住。植芝塾を開設。39歳で、武田惣角より教授代理の免許を得る。

 44歳の時、綾部から上京。
 51歳〜53歳迄、大阪朝日新聞で大東流合気柔術を「合気道」「旭流柔術」として教授。その後、大東流合気柔術を基に独自の工夫と理念を取り入れて行き、59歳にして自分流となった柔術を正式に「合気道」と呼称、合気道の創始者となる。

 それまで合気道は、入門するのも難しい道場だったが、73歳頃から一般に公開し始める。

 東京にて死去、享年86歳。

 合気道開祖
 植芝盛平

1883年12月14日
  〜1969年4月26日