『道』とは 

 私は以前、大阪から九州の郷里である佐賀まで自転車で帰った事があります。大阪を出て、広島の三原からフェリーを使い四国の今治まで渡り、今治から松山まで走り、松山からまたフェリーで小倉へ、小倉から佐賀まで、というコースでした。予定では、途中、各地の景色を見て廻り、楽しい旅にするつもりだったのですが、現実はとても辛い旅となり、ほとんど国道2号線を通り、自転車で走行したのは488キロでした。
 この旅で思ったのですが、天下の国道2号線で有りながら、歩道が無い所が多く、歩道が有っても、道路から駐車場等に入るためにスロープを設けている為凸凹状態でした。国道は人の為じゃなく自動車の為に出来ている事を実感したのです。

 合気道に限らず『道』が付くものは、国道2号線の様に成ってはならないと思います。
   “ 道は、公道であって私道にあらず ” 
 限られた人か通れる道でなく、誰でも通ることができる道であるべきだと思います。現在、『道』を付けている武芸は数多く有りますが、中には、敗者を否定したり、勝者だけの道になっていたりと、私道になってしまっているものも有るんじゃないでしょうか。
 私は、殆どの人が敗者だと思うのです。勝者は数多くの敗者によって生まれます。誰もが勝者に成ることは不可能なのです。成功者に成ろうとするのは良い事だと思いますが、なにも、そんな中で、勝者になり天下を取った気になる事はないと思うのです。勝者に成ろうとする事が『道』ではないのです。
 世の中には、天才も居れば馬鹿も居ます。運の良い人も居れば、運の悪い人も居ます。強い者も居るし、弱い者も居ます。誰もが認められ、誰もが通ることが出来るのが『道』だと思うのです。富める者は貧しい者を養い、強い者は弱い者を助ける、それが『道』だと思います。